玄興寺の由来





 その昔、天台宗の末寺で普盧寺という寺がこの村(春國村という。寺は現在の高山市立松倉中学校の東、丘の麓)にあった。応仁の乱の後、信濃国に竹腰五郎兵衛信兼と信之の兄弟武士があり、世の無常を感じて美濃の国長滝寺に入って仏門に帰依し、信兼は諦観、信之は義顕と改め修道に励んだ。そののち兄の諦観は飛騨の国に足を踏み入れ普盧寺に入寺した。

 文明5年(1473)諦観は、越前吉崎に蓮如上人を訪ね、その教化を受けて法弟となり、法名を深明坊釈覚信と賜った。蓮如上人裏書の本尊(文明五年五月八日、西之一色村之内春国深明とある)を授けられ、以後改宗して浄土真宗の道場とした。


 弟(法名を釈覚善と賜る)は二世をつぎ、四世釈正春は、慶長18年(1613)教如上人から木仏本尊を受けている。玄興寺の寺号を得たのは元和5年(1619)で、七世釈覚然は享保4年(1719)に本堂を再建し、現在に至っている。

   ※詳しくは、玄興寺記念誌『蓮如上人と玄興寺』(蓮徳寺住職三本昌之著)をご参照下さい。



          
  ■ 金猊山とは ■

 当寺の山号は金猊山と書いて“きんげいざん”と読みます。“猊”は獅子という意味です。


 



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