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玄興寺という寺号について


 玄興寺の寺号については、西方・西光・光明・誓願という、お経や正信偈などの浄土の聖典から採った寺号、いわゆる真宗的な名前ではありません。「玄興寺」寺号に付いて、長野県木曽郡楢川村奈良井の浄龍寺の由緒が興味深いので紹介します。


 「平安時代末、木曽義仲が源義経の軍に討たれた後、その家来であった落合五郎兼行の嫡男兼興(かねおき)は菅ヶ平に隠棲していたが、建暦三年(一二一三)春、北越へ親鸞聖人を訪ね、玄興の号を頂き藤井玄興と称し、建仁二年(一二〇二)?に帰国し、菅ヶ平に寺を建立し玄興寺と称した。正安二年(一三〇〇)、孫の玄徳が勧前へ草庵を移し、天正十七年(一五八九)には西町池の沢に移転。池沢山玄興寺と称し正保二年(一六四五)東本願寺宣如上人から本尊を頂き、玄興山浄龍寺と改めた。」



 年代のおかしなところもありますが、落合兼行の名を「けんこう」と音読みし、さらに「玄興」寺としたことが記されており、大変面白いと思います。当寺玄興寺の開基である竹越兄弟が安曇郡吉田村出身と、場所は違え信州の出身であるといわれます。現在、長野県には玄興寺と名乗る大谷派の寺院はありませんが、ルーツは信州にあるのかもしれません。
今後の詳しい調査と検証が待たれます。